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ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第15番 [音楽]

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(秋の青空に映える酔芙蓉)


Beethoven String Quartet No.15 (arranged by Franz Welser-Möst)
Bavarian Radio Symphony Orchestra
Franz Welser-Möst, conductor
June, 2017年

「人は必要な時に必要な人と出会うもの」とよく言われるが、音楽についてもそうではないかと思う。ある曲との出会い、音楽家との出会い、作曲家との出会い。ヴェルザー=メストがオーケストラ用に編曲したベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番を、数ヶ月前に初めて聴いた。そもそも弦楽四重奏曲には馴染みが薄いので、どんなものかと思いながらPCを開いたのだった。旋律美や曲の持つ清らかな空気感に感動することはよくあるのだけれど、今回ばかりは違った。心の中から何かが溢れ出すような感覚に陥ったのだった。ベートーヴェンは当時、腸カタルを患い、作曲を中断せざるを得なくなった。奇跡的に快復を遂げ、作曲を再開する。病からの治癒に感激し、神への感謝を示すために作曲された第3楽章は、神々しい光を放つ感動的な楽章だ。

ヴェルザー=メストとバイエルン放送響の演奏は、ベートーヴェンの心を照らす厳かな光や、彼の溢れんばかりの神への感謝の思いを、聴く者の心へ丁寧に刻印してゆく。今まで生きてきて、生死を彷徨ったことなどないけれど、今自分がこうして生きていること自体が素晴らしいという気持ちが沸き起こる。第3楽章の旋律を聴くたびに、自然と涙が頬を伝って流れ落ちてゆく。薄紙を剥ぐように心が軽くなり、胸の奥底に清らかな光が差し込むのだ。きっと10年前に聴いても何も感じなかったかもしれないが、今の自分には最もふさわしい曲なのかもしれない。

明日、クリーヴランド管の定期演奏会で、この曲が演奏される。WCLVではセヴェランスホールからの生中継が予定されている。ホームグラウンドのオケとどんな演奏を聴かせてくれるのか、今から楽しみでならない。そういえば、この曲は、2016年にブーレーズが逝去した際、追悼の思いを込めてセヴェランスホールで演奏されたのだった。ヴェルザー=メストとクリーヴランド管にとっては、きっと特別な曲に違いない。


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チャイコフスキー 交響曲第1番 冬の日の幻想 [音楽]

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Tchaikovsky Symphony No. 1 Winter Daydreams
The Cleveland Orchestra
Franz Welser-Möst, conductor
Jaunuary, 2016年

連日の猛暑日。灼熱の暑さが続く。暑い暑いと言いながら、聴いているのは真冬の曲だ。「冬の日の幻想」に出会ったのは、去年のマイアミレジデンシーだった。普段は4番、5番、6番しか聴かないので、若い頃の作品にはあまり馴染みがない。2016年1月24日の日曜日。いつものように、WCLVから流れてくる中継を録音した。その曲をiPodに同期し、家を出る。午後から休日出勤だったのだ。前半のシューマンを聴きながら、冬の青空の下を歩いた。ところが、夕方に天候が急変する。太陽の光は消え失せ、サラサラとした粉雪が降り始めた。退社する頃は、辺り一面が雪景色。急な大雪でタクシーがつかまらなかったので、ヴェルザー=メストとクリーヴランド管の「冬の日の幻想」を聴きながら、強い吹雪の中を歩いた。音楽の世界を、地で行くような不思議な体験だった。朝は掴みどころのない曲だと思っていたのだけれど、雪の中で聴いていると、音楽が体に染み込むような感覚にとらわれた。以来、お気に入りの一曲だ。先月、ヴェルザー=メストは、バイエルン放送響で同曲を指揮した。あの日の記憶が蘇ってきた。どちらも素晴らしい演奏なのだけれど、やはりクリーヴランド管の演奏を取り上げよう。独特の優美さと芯のある響きは、私を惹きつけてやまない。オケと指揮者の一体感、流麗さと力強さは、チャイコフスキーでも健在である。

第2楽章の解釈がとりわけ秀逸だった。白いキャンバスの上で、淡いグラデーションが広がってゆくかのような繊細な世界に魅了される。オーボエ、チェロ、ホルンが、順番に旋律を奏でながら、様々な楽器が色を添えてゆく。なめらかにたゆたう音楽の流れは、ヴェルザー=メストの真骨頂だ。オーケストラは、第1楽章での弾力性のある力強い響きから一変し、精緻な趣きをみせる。雪の中に消えてしまいそうな儚さ。音符に秘められた作曲家の淡い感情まで見え隠れする精巧な解釈に、耳が釘付けになるのだ。言葉にならない寂しさを湛えた世界。このまま夢が覚めなければいいのに、世界は闇のままで、闇が明けなくてもいい...と何度思ったことか。

両端楽章の疾走感と飛翔感も魅力的だ。ヴェルザー=メストはとても速いテンポでオケをドライヴするのだけれど、全く弛緩することがない。堅牢さと清澄さを両立させた響きが、いつまでも耳から離れなかった。


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シベリウス ヴァイオリン協奏曲 [音楽]

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Sibelius Violin Concerto
Bavarian Radio Symphony Orchestra
Franz Welser-Möst, conductor
Nikolaj Znaider, violin
2014年

シベリウスは、その生涯の中で協奏曲を一曲だけ残した。今回取り上げるヴァイオリン協奏曲だ。ロマン派の名曲であり、ヴァイオリニストのレパートリーとして定着している。美しさの奥に激しい情感と色香を湛えた名曲だ。曲の冒頭に「極寒の澄み切った北の空を、悠然と滑空する鷲のように」と指示があるとおり、北欧の深い森や厳しい自然を思い起こさせる。

昔からこの曲が好きなので、フランク・ペーター・ツィンマーマン(新録の方)やギル・シャハム、諏訪内晶子さんの演奏で繰り返し聴いてきた。先日録音の整理をしながら、ズナイダーの演奏を見つけた。2014年のバイエルン放送響での演奏会だ。当時はあまり気にもとめず、後半のくるみ割り人形ばかりを聴いていた。3年ぶりに聴いてみると、その音色に耳が釘付けになってしまった。翳りのあるややくぐもった音色。美音なのだけれど、ギルシャハムのようなキラキラと光を放つような音色とは違うのだ。輝きを内に秘めたブラックパールのような雰囲気が、曲の持つ抑えた情熱や官能性を存分に引き出していた。かつて覚えのない不思議な感覚だ。ヴェルザー=メストと共演が多いのは、同じ事務所だから?と邪推したのが恥ずかしい。これはヴェルザー=メストが好む音楽だろうな...。

冒頭、ねっとりとした潤いのある音色が、じわじわと体の中に染み込んでくるような感覚が走る。余分な力を削ぎ落としたズナイダーのボウイングが実に素晴らしい。ズナイダーが鷲ならば、ヴェルザー=メストとバイエルン放送響は、北欧の澄み切った空気なのだ。ソリストにぴたりと寄り添い、控えめな響きで魅了する。そりわけ、フルートの楚々としたソロが印象的だった。

ズナイダーは、分かりやすい個性に溢れたタイプでないが、聴くたびにその良さに魅了される。先日のN響でのメンデルスゾーンも素晴らしかった。彼の持ち味である勢いのあるボウイングと、洗練された線の太い美音が出色だった。シベリウスの後に演奏されたアンコールのバッハも、憂いを帯びた音色が後を引く。彼の独奏で、バッハをもっと聴いてみたい。


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ブルックナー 交響曲第7番 [音楽]

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Bruckner Symphony No. 7
The Cleveland Orchestra
Franz Welser-Möst, conductor
January 2017, Miami Knight Concert Hall
オンデマンドは、来週月曜日まで。)

人は、光り輝くものに惹かれる。太陽でも月の光でもいい。輝いているものに魅了されるのだ。マイアミ演奏会のブルックナーは、燦々としたきらめきを放っていた。指揮者と奏者の揺るぎない自信。湧き上がるような熱気と高揚感に溢れ、非の打ち所がない演奏だ。

ヴェルザー=メストの7番は、これまでに4種類聴いている。ユースオケ、ロンドンフィル、クリーヴランドとのレコーディング3種、そして去年のコンセルトヘボウ管デビューの演奏会だ。今回のマイアミの7番は、巧みに情感を付けながら、エネルギーがほとばしるような熱い演奏だった。マイアミコンサートホールの恵まれた音響も、一役買っているだろう。WCLVの録音技術のおかげで、日本にいながらこんなに素晴らしい響きを堪能できるのだから、実にありがたい時代だ。

ヴェルザー=メストの音楽は、その美しさに焦点が集まる。もちろん、今回のブルックナーも極上の美を追求した演奏だ。ただ、今までとは違う。指揮者と奏者が、同じ地点へ向かって無心に進んでいく。音楽があるのみだ。彼は、クリーヴランドでの音楽づくりで重要視する点として、奏者の”self-confidence”を上げている。大勢で合奏する場合、各自が自信を持って奏でなければ、芯のある響きは生まれない。これは邦楽でも同じなのでよく分かるのだ。凜とした強さのある美しさほど、完璧なものはないだろう。特に弦セクションの優雅さと強靭さを兼ね備えた太い響きは、心に深く刻み込まれた。

冒頭の弦のトレモロの後、豊穣なチェロの響きで曲は始まる。アンサンブルが完璧なのはいうまでもない。ブルックナーの音符が、澄み切った空気の中で、凜として輝く花々のように感じられた。光の差すような神々しい雰囲気の第2楽章。さりげなく淡々と進むかのようでありながら、曲の持つ優美さ、繊細さが胸に響く。

第3楽章のスケルツォは、非常にテンポよく音楽が流れてゆく。繰り返しが続くので、演奏によっては退屈しそうな楽章だ。マイケル・ザックスさんの颯爽としたトランペットの音色が、高らかに鼓膜を突き抜ける。フィナーレの軽やかさは、このコンビならではの響きだろう。

大きくテンポをゆらしたり、特定の楽器を際立たせる場面は一切ない。どこまでも自然体でありながら、ブルックナー7番の魅力を余すところ無く伝える秀演だ。演奏から伝わってくる電流のようなまぶしい震えが、私の心の中にいつまでも残っている。


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純白のブラームス [音楽]

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Piano Concerto No. 1 in D minor, Opus 15
Philharmonia Orchestra
Herbert Blomstedt, conductor
Martin Helmchen, piano
(オンデマンドはこちらから。約1ヶ月聴けます。)

先週金曜日の早朝、BBC Radio3でフィルハーモニア管の定期演奏会が放送された。お目当は、ヘルムヒェンが弾くブラームスのピアノ協奏曲第1番だ。ブロンフマン&ヴェルザー=メスト、クリーヴランド管の完成度が極めて高いので、さあどうかなと思いつつチャンネルを回した。

ライブならではの瑕疵はあるし、テクニックはやはりブロンフマンの方が上だと思う。弦に厚みがあって芳醇な響きで魅了するのは、クリーヴランド管だ。それでもなお惹きつけられるのは、その爽やかさにある。純白のブラームス。真っ白なキャンバスをイメージさせる瑞々しい響きに、思わず釘付けになってしまった。若きブラームスの清廉な姿が、鮮やかに蘇ってくるのだ。

爽やかだからといって、淡白なわけではない。火花のように燃え上がるクララへの愛を、ヘルムヒェンは澄み切った音色と深い打鍵で見事に表現する。彼のピアノは本当に音が濁らない。特に印象に残ったのは、第2楽章。ペダリングを駆使しながら、一音一音を噛みしめるように進んでゆく。柔らかで淡い響き。透明なタッチ。ブラームスの秘められた情熱を垣間見るような瞬間が幾度となく訪れた。

オーケストラとピアノと指揮者が同じ方向を向いている演奏ほど気持ちの良いものはないだろう。ヘルムヒェンは、ブロムシュテットさんやドホナーニさんとの共演が多い。おじいちゃんと孫くらいの歳の開きだが、音楽性が近いのかもしれない。ピアノに共鳴するかのように、オケの響きもクリスタルガラスのような清澄さが印象的だった。絹ではなくて木綿のような爽やかさが後を引いた。5月の晴天に映えるブラームスだ。


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シベリウス 交響曲第2番 (4/10更新) [音楽]



Sibelius Symphony No. 2 in D major, Op. 43
The Cleveland Orchestra
Franz Welser-Möst, conductor
February 2017, Miami Knight Concert Hall

(4/10 更新 オンデマンドになりました。こちらのリンクから是非どうぞ!! )

今シーズンは、シベリウスの交響曲第2番で幕を開けた。クリーヴランド管のシベリウスの2番といえば、ジョージ・セルが指揮した来日公演の録音が有名だ。質実剛健できりりと引き締まった響きは、いちど聴いたら忘れられない。ヴェルザー=メストがシベリウスの交響曲...?ちょっと想像がつかなかったのだけれど、先日のマイアミ演奏会は、"another great performance"と言うにふさわしい名演だった。セルとはまた違った、目の覚めるような素晴らしいシベリウスだったのだ。

個人的にシベリウスは、ヴァイオリン協奏曲やピアノの小品を聞く程度だったので、手始めにプログラムノートを読んでみた。ベートーヴェンやブラームスと同じく、「まずは音楽ありき」の人であり、音楽に物語性を持ち込まない作風らしい。交響曲第2番には、同じニ長調のブラームスの2番のような開放的な雰囲気がある。休みなしで演奏される第3楽章から4楽章の盛り上がりは、ベートーヴェンの第5番を彷彿とさせる。

ヴェルザー=メストとクリーヴランドオーケストラの演奏は、水面に浮かんだ花びらをそっとすくうような繊細さが特徴的だ。第1楽章の冒頭。さざなみのような弦の調べに続くオーボエの旋律を聴いた時、心の深いところが震えるような感覚に襲われた。えっとこれは、録音だよね?と自問したほどだ。弦と木管、金管が見事にブレンドされ、匂い立つような美しい響きを作り出している。何と抑制の効いた爽やかな音色だろう。弱音へのこだわりというのだろうか、ちょっと他では聴いたことのないような優美な響きで迫ってくる。

第2楽章では、独特の厚みと潤い、堅牢さとしなやかさを兼ね備えたクリーヴランドの弦と金管が凄みを増す。月に照らされながら闇の中をさまようかのような陰鬱なイメージを、非常に力強い響きで体現する。一方で、甘美な第2主題に添えられるフルートの繊細な響きには、またしても心が震える思いがした。

第3楽章。オーケストラが、氷上を舞うスケーターのように勢いよく駆け抜けてゆくのが実に気持ち良い。ワルツが得意なヴェルザー=メストらしさが全開の、スピード感があって颯爽とした響きだ。いったん静まって始まる長閑なオーボエの音色は、無垢な美しさを湛えていた。
歓喜の第4楽章。ヴェルザー=メストは巧みに情感を付けながら、オケをぐいぐいと牽引する。精神が瑞々しさを取り戻してゆくかのような高揚感に、この上ない幸せを感じるフィナーレだった。


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メンデルスゾーン 交響曲第4番 イタリア [音楽]

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Mendelssohn Symphony No. 4 in A Major (“Italian”)
The Cleveland Orchestra
Franz Welser-Möst, conductor
March 2017, Miami Knight Concert Hall

メンデルスゾーンの交響曲第4番は、空が桜色に染まる季節にふさわしい晴れやかな曲だ。今シーズンのマイアミ演奏会は、オールイタリアンプログラムで幕を閉じた。メンデルスゾーンをはじめ、ヴェルディのオペラから抜粋したバレエ曲、レスピーギのローマの松、いずれも佳い演奏だった。来季からマイアミレジデンシーは大幅に削減されるらしい。経営戦略上、やむを得ないのかもしれないが...残念すぎる。

ヴェルザー=メストとクリーヴランド管の演奏は、いつも録音であることを忘れさせる臨場感がある。普段は硬派なクリーヴランドの弦が、ウィーンフィルのような艶やかさを醸し出す。曲全体に瑞々しく淡い芳香が漂う雰囲気だ。ヘッドフォン越しの活き活きと弾む弦の響きに、心が浮き立ち頰が緩む。冬の時代を終え、春を感じたい。太陽の光は少し眩しすぎるのだけれど、流麗な音楽の調べに身を任せていると、ふわふわとした夢見心地の気分になる。そう、本当に春になったのだ。季節の春というだけでなく、心の中にも春がやって来た思いがした。

ヴェルザー=メストは、昔からメンデルスゾーンを得意とする。フォルムのきっちり整った演奏は、ロンドンフィルとの録音と変わらない。気のせいかもしれないが、ベートーヴェンやブルックナーと同様に、以前よりも”体温”を感じさせる。第1楽章と第4楽章での、溢れんばかりのエネルギーは昔の録音では見られなかった気がするのだ。何かに駆られるようなあのパッションは、メンデルスゾーンでも健在だった。

今回の演奏で特に気に入っているのは、第2楽章と第3楽章だ。儚げな美しい旋律なので、誰が演奏してもそれなりの形になるだろう。細部の繊細な表現に、ヴェルザー=メストらしさがよく出ていると思った。今にも崩れ落ちそうな脆く翳りのある弦の響き。ときおり顔を出す柔らかな木管の音色は、桜の淡いピンク色を連想させる。聴いているうちに、じんわりと胸の奥が締め付けられた。


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ブラームス ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 [音楽]

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(Nikon 1 J5 のベストモーメントキャプチャーモードで撮影した陸橋からの眺め。私の中のダブルコンチェルトのイメージにぴったり。)

Brahms Double Concerto in A minor, Op. 102
The Cleveland Orchestra
Franz Welser-Möst, conductor
William Preucil, violin
Mark Kosower, cello
January 2016, Miami Night Concert Hall


ブラームスの2つのピアノ協奏曲と今回の二重協奏曲は、傑作ではあるのだけれど、自分の中で生き生きと存在感を放つまでには、随分時間がかかった気がする。去年のマイアミレジデンシーの演奏会は、ライヴ放送後、繰り返しオンデマンドになっていたのだけれど、とことんハマるということはなかった。個人的にブラームスの音楽は、交響曲とヴァイオリン協奏曲を除けば、後からじわじわとその良さに気づくことが多い。ピアノの小品、ピアノソナタ、チェロソナタ、クラリネットソナタ...挙げればきりがないほど今年はブラームスばかり聴いている。読書が捗るのもブラームスなのだ。

ブラームスは交響曲第4番を作曲後、疎遠になっていたヨアヒムとの関係修復を願ってダブルコンチェルトを作曲したと伝えられる。第4交響曲で見せた、厭世観や諦念といったものは影を潜め、ブラームスらしい陰りのある美しさと秘められた激しい情熱を感じさせる。独奏楽器とオケが複雑に絡みあい、次第に高揚感を増していく過程は出色だ。

第1楽章。オーケストラがほんの少しだけ第1主題を奏でた後、独奏チェロの寂寞とした音色が聴こえてくる。ソロを弾くのは、オーケストラの首席奏者 マーク・コソワーさんだ。深海の底から静かに響き渡るかのような清らかで深い音色で、聴き手を魅了する。コンサートマスターのプレイシルさんのヴァイオリンは、やや抑えめなのだけれど、芳醇で美しい。チェロとヴァイオリンの激しい演奏の後、トゥッティで華麗な第1主題が奏でられる。ここは前半で最も好きな個所。ヴェルザー=メストとクリーヴランドオーケストラの伴奏は、狂おしいほど情熱的だ。続く第2主題での、ヴァイオリンセクションの目眩がするほど艶やかで美しい響きといったら、もう卒倒しそうになるほどである。

第2楽章は、どことなく懐かしさのある虹色の輝きをみせる。今の季節なら、冬の青空に映える蝋梅の花でもいいかもしれない。「これで良かったのだ。悔いはない。」とブラームスが、自身に言い聞かせているかのようなイメージが浮かぶ。コソワーさんのあたたかい音色に、管楽器が応え、独奏ヴァイオリンへと繋いでゆく。

第3楽章は軽快なチェロの調べで始まり、同じ旋律をヴァイオリンが受け、次第に熱気を帯びてくる。独奏楽器の短いカデンツァは、張り裂けそうな想いを秘めながら、ほろ苦く切ない。コソワーさんとプレイシルさんの、力みのない練達のソロに思わずハッとさせられた。終楽章でのトゥッティの音の豊かさ、力強さ、強靭さは、クリーヴランドオーケストラの魅力を存分に味わえるものだった。


(コンサートの様子がこちらにあります。)

というわけで、来週はいよいよ6年ぶりのブルックナー7番だ。RCOデビューも7番だったけれど、クリーヴランドで取り上げるのは2011年以来となる。
中継があるので是非どうぞ。1/29(日)午前10時から。




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チャイコフスキー 交響曲第6番 悲愴 [音楽]

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(夕靄の立ち込める冬の宮島)


Tchaikovsky Symphony No. 6 "Pathétique"
Franz Welser-Möst
The Cleveland Orchestra
2007, Severance Hall (Season opening concert)

ネットラジオ、ストリーミングサービス、CDを中心に、今年もたくさんの音楽を聴いた。印象に残った演奏は数多くあるのだけれど、その中で一つ選ぶとするならば、迷うことなくヴェルザー=メストの悲愴をあげる。1月のネットラジオのスタートは、マイアミ定期の「冬の日の幻想」だった。今年はチャイコフスキーについて、興味を深めた一年なのかもしれない。ピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲を聴き直していくにつれて、その音楽性に魅せられたと言っていいだろう。チャイコフスキーを題材にしたケン・ラッセル監督の『恋人たちの曲 悲愴』も忘れがたい作品だ。

ニューヨークの批評家が"Unsentimental elegance"と評するように、ヴェルザー=メストの悲愴には、ひんやりとした空気感が漂う。暗澹としたファゴットの旋律と、不穏な低弦の調べで曲は始まり、ヴァイオリンの鋭い響きが耳をつんざく。情け容赦なく降りかかる試練を一身に受け止める以外、生きてゆく方法はないのだと言わんばかりの曲想だ。
地下室の暗闇にそっと光が降り注ぐような第2主題。ヴァイオリンが優美なメロディを奏でると、フルートの旋律が後続する。スミスさんのフルートは、マッチを擦って浮かび上がる束の間の幻想をイメージさせる儚い音色だ。ヴェルザー=メストの悲愴を聴いていると、死ぬことでしか幸福を得られなかったマッチ売りの少女の姿が脳裏に浮かぶ。心の奥深くにそっと語りかけるような音楽の進行が印象的だ。悲愴の録音は数多く聴いたけれど、アンデルセンを彷彿とさせたのは彼が初めてだった。淡い光が消えゆくと、研ぎ澄まされた剣先のように鋭い弦が再び登場する。セヴェランスホールの音響もあいまって、かなり激しく感じられた。狂ったように突進していく様子は、去年のマーラーの6番に通じるものがあった。

第2楽章はヴェルザー=メストが得意とするワルツだ。4分の5拍子という一風変わったもので、チャイコフスキーの創意工夫が見て取れる面白い楽章。不安定さが同居する旋律を、メランコリックに聴かせてくれる。
にぎやかで慌ただしい第3楽章。目が回りそうになる曲想は、躁状態の人間の内面を映し出すかのようで不気味だ。一糸乱れぬアンサンブルで、澄み切った響きはそのままに駆け抜けてゆく。

ヴァイオリンの慟哭 にも似た物悲しい旋律で始まる第4楽章。冴え冴えとした弦にブラスが加わり、音楽は静かに高揚してゆく。ヴェルザー=メストは大きくテンポを変えたり、タメを作るわけではないのだけれど、まるでワーグナーかシュトラウスのオペラのように、ドラマチックに音楽を作り上げる。山場への持って行き方が絶妙なのだ。音楽の高揚が最高潮に達する場面では、目の前に現れた"おばあちゃん"の姿が消えないように、ありったけのマッチを擦るシーンを連想せずにはいられなかった。むせび泣くような耽美的な弦の響きには、抗いがたい魅力がある。泡のように消えゆくラストには魂が揺さぶられる思いがした。


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アンスネスのシューマン [音楽]

ムクゲ


Piano Concerto in A minor, Op. 54
Leif Ove Andsnes, piano
Franz Welser-Möst
The Cleveland Orchestra
January 2016, Night Concert Hall (Miami residency)


今年はシューマンのピアノ協奏曲をよく聴きました。アンスネスをソリストに迎えた1月のマイアミ演奏会、8月の平和の夕べコンサートでの萩原さん、そして再び11月のN響定期にアンスネスが登場しました。

1月の演奏会。アンスネスの最初のタッチを聴いた途端、脳裏に浮かんだのはヴェルザー=メストの言葉です。「アンスネスは20年前の彼とは違います。非常に深みのある完璧な音楽家になっているのです。」冒頭から「おや、これは…すごいかも」と思いながら、一気に引き込まれたのを覚えています。そして先日のN響。疾走感溢れるピアノは、マイアミとはまた違った趣、瞬く間に魅了されました。

シューマンがクララのために書いた本曲は、男性の持つ包容力、安心感、気遣い、優しさ、凛々しさ、情熱、切なさ、儚さ、全てが詰まった宝石のような曲です。オケもピアノも相当難しいため、お気に入りの演奏に出会うことが少ない気がします。

青梅のように瑞々しいヘルムヒェンや、黄昏時に窓際に佇んでいる男性をイメージさせるアラウとも違う。ヴェルザー=メストとアンスネスのシューマンは、成熟した大人の深い愛をもっとも感じさせる演奏でした。らじるで聴いた演奏が、颯爽とぐいぐい進む大変素晴らしいものでしたから、しばしマイアミの演奏を忘れていたのですが…。


ヴェルザー=メストとクリーヴランド管の伴奏が、メランコリックで幽玄的な雰囲気を作り出していたように思います。オケ全体のカラーである白磁のように透徹した美しさ、翳りのある木管の音色、陰影に富んだ弦楽器がアンスネスをサポートします。シューマンの描いた美的世界を、ここまで綺麗に昇華させた演奏はめったにないと思うのです。漣のように押し寄せてくる旋律を、アンスネスは一音一音丁寧に紡いでいました。

第1楽章。オーボエの渋い艶のある音色が耳を引きます。吹いているのはおそらく、首席のローズンワインさんではなくラスブン氏かな。(今度のドイツレクエムでも彼が1番を吹いています。)クリーヴランドの深みのある弦とアンスネスの透明度の高いピアノが絶妙にブレンドされ、何ともいえない幻想的な雰囲気を作り出します。アンスネスのピアノは、細やかな優しいタッチと芯のある強さが同居する特筆すべきもの。さらりと弾いているようで、実は相当コントロールされているような印象を持ちました。特にカデンツァでの、迫力のあるタッチが、情熱的な愛の告白のようにも感じられて、非常に良かったです。

春の木漏れ日の中を歩きながら、愛を語らうかのような優しいイメージの第2楽章。アンスネスの静謐なタッチがキラリと光っていました。第3楽章。スタイリッシュに決めていたEMIの録音と違って、非常にゆったりと夢の中を進んでゆくかのような演奏でした。

ヴェルザー=メストが指摘するように、10年以上前のEMIの録音から、アンスネスは確実に進化を遂げています。若狭塗り箸のように、きっとこの十数年間で塗り重ねた(=積み上げたもの)ものが、今の彼の演奏にきらりと光るものとして表れているのだろうなと思いました。


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